2004年
●4月30日(金) 私のウィルス対策・・・大丈夫か? |
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●4月28日(水) 美女二人と2時間を過ごす |
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モデルのような女性が2人 |
・・・タイトルに深い意味はありません(^^;)左の写真、我が染め工房に似合わない程の美女お二人です。 本日、2時間にわたり草木染め体験を行ないました。いつもは妻が講習するのですが、営業で出かけているので私が教える事に。 昨夜、能都町の「民宿ふらっと」さんから電話があり、「女性2名、明日の午前中に草木染めできますか?」と。詳しく尋ねると東京とドイツからのお客様との事。 若い女性・・・ドイツ・・・。最近、奥能登の《強引な老人男性》の事ばかり考えていた私は、迷うことなく了承したのです。(^^ 朝9時28分「のと鉄道・古君駅」に降り立った彼女たち。身長170cmを越える女性はドイツ在住のプログラマー、165cmほどの女性はドイツから帰ってきて某国○△□に勤務するとのこと。なぜか草木染めを体験してみたいとのことでした。(お二人ともネットに載せてOKという了解を得ています) 化学染料は1色を30分で染める事ができるけど、草木染めは2時間かかります。化学染料の製造国ドイツ。そのドイツ暮らしの長いお二人には、草木染めのイオン結合や色素の理論が「分かりやすくて良い」と言ってもらえました。・・・普通は、この理論をあまり詳しく話す事はないのですが(^^;) ドイツはグリーン・ツーリズムの本場です。小人数で自然の中、リフレッシュ休暇を取って能登の旅行。もっともっとPRを勧められました。ドイツの若者、自然の話、着物の話・・・ヌカいわしとイシルの話。 2時間話し続けたお二人。主にその8割は一人の女性が受け持ってくれましたが。口下手な私が(?)若い女性とこんなに沢山話せるとは思いませんでした(^^;)・・・次に能登に来る時には、旦那さんと4人で遊びに来て貰えそうです。 あぁ、ちゃんと2時間、手も動かし続けてアカネ染めのハンカチが出来ました。私の講習でも、ちゃんと出来ます(^^ あっという間に次のスケジュール。門前町、総持寺へ。 のと鉄道・古君駅11時22分発〜穴水着11時50分。門前へ行くバスが穴水発11時50分・・・これって乗れますか? 穴水町内に用事のあった私は二人を乗せて穴水駅へ。この用件が無ければ、今日の講習は実現できなかったと思います。 |
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笑顔の染め体験をパチリ! |
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いつもより染め上りが濃い? |
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オリジナルハンカチ完成! |
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駅までの道中20分間も話し続け・・・いつまでも会話していたい感じがしましたが、バスに乗った二人に手を振ってメールを貰う約束をしました。
とても楽しい2時間でした。 《5月3日、本当にメールが来ました!!!\(^0^)/!!!》 日記才人の↑ボタンです。押していただくと励みになります。(登録が必要) |
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●4月27日(火) 私が町の合併で言いたかった事 |
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この先、町の庁舎の場所であるとか、議員定数、課の配置等が話題になりますが、実は見て欲しいものに「新町の建設計画」というのがあります。どこの町でも「総合計画(10年計画)」を立て、形の上ではその計画に基づいて予算をつけ事業を行なっていくのですが、新しい町の総合計画の基ともなるものが「新町の建設計画」です。 計画通りになるわけではないのですが、新しい町の今後の基本方針があります。穴水町の委員を中心に活発な意見が出されました。町のこと全般が網羅されていますが、「1・人づくり・ものづくり 2・教育・福祉充実 3・地域活性化 4・交流促進 5・住み良い生活環境づくり」という重点プロジェクトがあります。 これらは特に目新しいものではありませんが、「町を支えるのは暮らす人、町をもっと知る、人を育てる、ものを作る、町の人の声を反映させる」という内容が織りこまれています。そこには、合併による住民の不満や苦情、不公平さを反映させる「町づくり委員会」や、住民による町づくりの為の「住民ディレクター制度」なども重要視されています。 ともすれば、施設や道路、観光にイベントや賑わい創出という派手な部分が目立つのが町づくりですが、その元になる住民の暮らしや文化を最も大切にして欲しいものです。 そんな視線で、町を見たとき、暮らしている私たちも知らない能登の魅力が沢山あると言えます。昨日の春祭もそうでした。 穴水町中居地区の春祭。 夕闇迫る頃。家々の提灯の明りが連なり、私をその「魅力」へ誘(いざな)っているようでした。
この辺りは昔ながらの家並が残っていて、とても風情のある集落です。 棟を並べる家々は家紋の入った提灯に明りを入れ、玄関には同じく家紋の垂れ幕を飾り、それぞれの家の座敷には「御見世」として「屏風」や「生け花」「茶器(中居鋳物)」をあしらい、「御神燈」「お神酒」を供えて氏神様を迎えています。神主と共にお神酒を戴いている正装男性は氏子総代でしょうか。
暮色濃い中、御神輿しは「つら〜つら〜ちょうさ〜」という掛け声で集落を練り、氏子は揃いの白装束で御神輿を動かしていました。 ちなみに、御神輿の掛け声で、早足は「やっさい!やっさい!(弥栄!弥栄!)」ゆっくり歩く時の「つら〜つら〜ちょうさ〜」とは、穴水を治めた長谷部信連(はせべのぶつら・1147〜1218年)・・・その子孫の穴水城主・長正連(ちょうまさつら)のことを「連〜連〜長様〜」と言ってるのか?「長家の繁栄を連なれ〜」と言ってるのかもしれません?・・・(穴水の地域では、この説があるのですが、その後、「ちょうさ」の掛け声は全国的に分布していることや、名称として「山車(の一種)」や「太鼓台」を示す意味もあることが分かり、掛け声の意味は不明と追記しておきます。2004年4月末) この地区は、かって鋳物で栄え北前船によってもたらされた文化が残っています。居間を開け屏風等を見せるのは、若い頃10年間暮らした京都の祇園祭を思い出させてくれました。 能登の祭といえば「キリコ」「デカ山車(ヤマ)」などですが、こうした小さな集落の風情のある祭も魅力があります。・・・空き家や老人だけの家なのか、提灯が出ていない家が何件かあったこと。この集落も神輿を担ぐ若い人が居ないのか、タイヤを付けて動かしていました。・・・風情とは違った寂しさと悔しさを感じながら帰路に付いた夜。
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ホントのところは、 で、気が付くと、住んでいる地区の公民館の会議に遅れたのでした(^^; 日記才人の↑ボタンです。押していただくと励みになります。(登録が必要) |
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●4月26日(月) 私へのメール |
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今夜は笑ってしまいました。 ・・・笑い事ではないのですが、「なりすまし」で私が送信者になっているウィルスが私にも届きました(上の画像)・・・。オイオイ(−−;) これは、「なりすまし」で私を名乗ったウィルスメールが色々な人へ送られている証明ににもなりますね(^^;)・・・私は無実ですよ!!(^^ |
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お願いです。 もちろん、私も、そうしています。 日記才人の↑ボタンです。押していただくと励みになります。(登録が必要) |
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さて、本日は地域ネタ。午後7時30分〜。私の暮らしている地区公民館の年間の運営委員会が開かれました。その実行委員会の委員の参加者は名簿記載53名中約40名・・・名誉職のような方も名を連ねていますから、実際に活動する人の殆どが出席していました。公民館職員以外は全て、社会活動の裏方、つまり無報酬で参加している人ばかりです。この町外れの地域の社会活動は、こうした人によって支えられています。 その公民館の実行委員会に遅れてしまいました。理由は別の地域で春祭が行なわれていて、その写真を撮るのに夢中になっり時間を忘れていたからです。(−−; 写真は・・・明日。春祭の情報をありがとう御座いましたm(__)m |
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●4月25日(日) 届かない声(その2) |
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現在の穴水町の議員定数16人。門前町は14人です。 鳳(新)町 能登は、国や県の方針を素直に受け入れて苦情を言ったり抗議をする事は少ないところです。住民運動というものを殆ど聞いたことがありません。私も1度も参加した事はありません(((^^;)言うまでもない事ですが、合併してもしなくても「住民の声は届けるもの」、「届けないといけないもの」、そして「行政は届きやすい状況を作る事」です。 総務省や町の合併パンフレットには、「合併で、住民参加の町づくり」「合併で起こる様々な問題は、行政と住民の会話で解決しましょう」とあります。 |
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つまり、それは、 たぶん、今まで以上に・・・。 日記才人の↑ボタンです。押していただくと励みになります。 |
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●4月24日(土) 届かない声 |
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その中で「町の合併」の話しも出たのですが、ここでも合併に賛成と言う人は一人もいません。逆に「アンタ、委員てことは、賛成なのか?」と責められるような雰囲気でした。基本的に私は合併に賛成か反対かを主張する気持ちも主義も持っていませんので「合併をしないでこのままいくと町は遣り繰りが苦しくなる。町、町議会が決めた合併の中で、私の気持ちと地区の声を伝える事が出きれば良いと思い委員を受けた」と。 昭和30年(1955)に、この地区(旧諸橋村)は鵜川村(現在の能都町鵜川)との合併が破綻した結果、穴水町と合併したといういきさつがあり、年配の人には今もその時の記憶があります。 「どっちにしても、町の端っこは、割(割合が)悪いぎわい」「鉄道も、のおなるし(無くなるし)どーすこっちゃいや。病院も行くが都合悪いぞ」「いまに(そのうち)学校も、のおなるやろし、若いモンに居(お)れ言うても、居らんわいや」 子供が最も多かった頃(団塊の世代)全校で500人ほどいた児童は、今全員で30数人、複式学級になっています。地元にあった中学校が統合されたのは忘れるほどずっと前ですし、保育所は今年3月に閉じられました。小学校の統廃合も数年後にあると見ています。 この年代の人は政治に詳しく、「グリーンピア」(年金福祉事業団の大規模リゾート施設)の売却話や郵政の民営化等の話を一巡り。けっこう政治不信のご様子で、昨日書いた最後の言葉、「政治家なら真っ直ぐな太い道路をどーんと引いてみせる」は、ここで話した一人のお爺さんの言葉でした。(^^;) 結局、最後は「町会議員に言うて、ここだけ能都町と合併すっぞ」「それ、一番いいな」 ・・・私、逆らいませんでした。・・・今回破綻した場合、それも良いかな、と。(^^)小さな社の囲炉裏を囲んでの話。 どこまで届ける事の出来る言葉か、届かない声なのかもしれませんが、2005年3月までの「かけこみ合併」・・・国の方針自体、町も、もう少し地域に考える時間を与えるべきではなかったかと。 今更ですが。 |
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町外れの人の声は、 日記才人の↑ボタンです。押していただくと励みになります。 |
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●4月23日(金) この先の過疎の進み具合 |
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1980年から10年間で約3500人ずつ減っています。減少率は13.3%から15.5%へ増えています。2000年から10年後の予測は、減り方が少ないような感じもしますが・・・???(^^;)
そして、合併で文化・福祉・スポーツ施設などを広域的に配置しITなどを活用し高い水準のサービスが可能だと言っています。そうでしょうか・・・? 日本のITが脆弱なセキュリティで整備自体が不充分だという事は、ネットをしている人なら誰もが実感していませんか?この広い町の、周辺部に暮らす人々にキメ細かいサービス(例えば、道路、下水道、老人介護、通学補助・・・等)を行ない続ける事が、どれほど人的にも金銭的にも大きな事なのか。合併特例法でこうした整備の予算が付き施設を整え事業を行なうことになります。でも、それを継続し維持していく経費も大きなものになるはずです。 「冬場、救急車を呼んでから病院に着くまでに1時間かかってしまいます」「鉄道が廃止されバス運行になると時間がかかり運賃が高くなります」なんとかして欲しいという町外れの者の声を伝えようとする一方で、何かしら疑問も生まれてくるのでした。 私がバブル期の政治家なら「真っ直ぐな太い道路をどーんと引いてみせる」と言えるかも・・・残念ながらバブル期でもないし、もちろん政治家でもないのですよ(^^; |
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●4月22日(木) なんで市町村合併するんですか? |
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◎別の意見として 市町村合併に関して詳しい事は、国の方針ですから、先ず総務省のサイトへ。 ★「市町村合併とは?」「今なぜ市町村合併?」合併に関する詳細な説明、メリット、デメリット等の説明があります。・・・たぶん、殆ど読まないと思いますが・・・((((^^; 上のお二人にはメールで簡単な説明をしましたが、ここで、もう少し書いておきます。 多くの市町村は財政が苦しくて、国からお金「地方交付税」をもらわないと、施設の整備や住民サービスが十分にできない状態です。しかし、現在は国の財政も厳しい状況で国や地方の借金を合わせると719兆円もあります。このままでは借金がどんどん増えてしまうので、国は市町村の交付税を年々減らそうとしています。 そして出てきたのが今回の「平成の大合併」です。合併すれば、市長や町長は一人ですみ、議員も職員も減りますから給料が少なくてすみます。市町村の数も減りますから、国としては、地方交付税を減らす事が出来るというわけです。今、全国に市町村は約3000。2005年3月までに3分の1に減らしたいということです。 しかし、何か良い事がないと合併は進みません。その合併を進める為、国は「合併特例法」という法律をつくりました。2005年3月までに合併すれば、その後10年間はこれまで通り交付税がもらえるし、文化施設などの公共施設をつくる場合、国が借金の七割を払ってくれるという法律です。俗に「飴」と言われています。多くの市町村はこうした公共事業によって潤っているのです。市町村合併をする理由の最大点はここにあります。市町村合併が「結納金目当ての結婚」とも言われる理由です。 ところが、合併すると街の中心部に人口が集まり、町はずれまで役所のサービスが行き届かなくなる心配があります。合併前の町の文化や歴史が無くなる場合もあります。住民の気質や意見が合わない場合もあります。 こうしたデメリットや隣町同士の勢力関係、利害関係などで合併しない場合もあります。主に都市部では合併しないでも良いかもしれませんが、地方の小さな町村は、この先財政が成り立っていかなくなる畏れがあります。人口が少ないと市町村に入るお金は減る一方で、老人医療費や介護保険費用が増えますから。既存の公共施設の維持さえも出来なくなる場合もあるようです。過疎の町は都市部に比べて住民サービスが悪くなり一層人口が減るわけです。 「過疎でも良いではないか。自然と共にのんびり暮らせば良い」・・・と言う声も聞こえそうですが、職場も無く、学校も統廃合され病院も遠いしスーパーも無い。公共料金も高い・・・実際に生活するには極めて不便な状態で、そういう不便な環境が好きな人しか住めないはずです。また、1度手を加えた自然は人間がいなくなると違う意味で崩壊していきます。美しい棚田や水田も山林も管理する人さえいなくなってしまうのが過疎です。人がいなくなると言うのはその土地の文化も滅び自然も荒れるという事です。 こうして書くと私が合併推進論で固まっているような感じですが、j実際には、合併すると問題が解決できるわけではないのです。かえって問題が増える不安を持ってます。全国では合併計画が崩壊しているところも多いようです。 あえて、書きますが、国の方針で進められている合併です。しかし、最も大切なのは、その街の住民が本当に暮らしやすくなるのかどうかを考える事のはずです。「何が何でも合併する」とか「何が何でも反対する」ことでも無いはずです。 私の住む町(議会)が合併する方針を決めたのですから、合併の内容を、住民が暮らしやすいほうに考えるという事です。 ★別の意見のお二人の質問には、「ふるさと」を大切にして欲しいと言う思いがこめられている気がします。 |
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●4月21日(水) 「本来の主旨」を考える。 |
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本日の午後1時に削除しました。 北國新聞の「合併問題を紛糾させる記事を抗議」する為に日記に書いてきましたが、この町に住んでいる私にとって最も大切なのは「住民にとっての良い合併」を考える事だ思います。この書き方は奇麗事に聞こえるかもしれないのですが、合併で最も不利益をこうむるのは両方の町外れに暮らしている人たちなのです。 その、町外れに暮らしている私たちにとって更に大きなダメージが与えられています。折りも折り、住民の足とも言える「のと鉄道」穴水蛸島間の廃止が決定し、来年の3月で列車(レールバス)が走らなくなります。その後はバス運行になりますが、これの問題が最も大きいのが私の暮らしている周囲の総延長24kmの道路です。道幅が狭く段差があり、カーブが多く道の両方に民家が連なっている道路なのです。 合併に関して政治家はプライドをかけた綱引きをするのが仕事かもしれませんが、町外れに暮らしている者にとって、今の状況は「町外れは人が暮らせないところ」「嫌なら町外れに住むな」と言われているような状況なのです。 町外れに住む者として言わなければならないことが沢山あります。合併協議会の場で意見を言える立場に巡り合ったのですから、それも正味、残り数ヶ月です。紛糾することなく、本来の意見発表の場であって欲しいのです。門前側の不満は紛糾という形で表現する事ではなく、意見で明確に表現して欲しいものです。町民を代表する議員なのですから。委員なのですから。 |
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余談として、「思う壺」の話しは結構ウケました。 我ながらブラックジョークとして良い出来だと思っています(^^;)
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★4月15日の日記が最後まで表示されない場合はこちら
●4月20日(火) 「思う壷」ですが、気分転換も必要です。 |
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フィクション「思う壺」・・・。 いちおう、この『能登が好き』の日記は、事実に基づいて書いてますので、証拠や根拠のない事は、このページでは書かないのですよ(^^;) |
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まぁ、オフレコの話も書けば沢山あるのですが、何かを煽る為の文章は書きたくないものですね。
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●4月19日(月) 北國新聞からの電話 |
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既に記者の言い分を十分聞いた私には、納得のできない事が残っただけです。残念ながら、会って話しを聞く気持ちも時間も無いです。その理由は、この数日の日記を読んでもらえば分かるはずです。 文章で返事を貰えることはなさそうですが、記事全文の掲載は正式に拒否されました。こうした明快な返事のほうが気持ち良いです。
力のある議員が実力の見せ所として、頑張るのは政治的に当然なのかもしれませんが、私のような町外れに暮らす住民委員に出きる事は一体何なのかを考えています。たぶん、意見を言うだけで終わりそうですが・・・。 |
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門前町の実力者達の言い分はわかりましたが、侮辱だとか非礼への謝罪がないだのと言っている限り、譲り合って話し合う事などできないでしょう。だいたい、そのプライドが紛糾の元ですから。
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●4月18日(日) 北國新聞への抗議方法 | ||
◎抗議方法 ◎意見として
◎別の意見として 北國新聞の記事とそれに対する私の感想・顛末は、下↓の4月15日の日記をご覧になってください。 ご意見はこちらまで 今後の方針はもう暫く考えてみたいと思いますが、「◎別の意見」が興味深いです。意見はいずれも能登出身で首都圏にお住まいの50代の方です。 それと、今回、北國新聞との対応で私は「○□をしますから◇△をして下さい」と事前通告の話し方をした記憶があります。それが、ある意味フェアだという感覚があったのですが、 |
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この方法は、「かけひき」のようでもあり
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●4月16日(金) 北國新聞の傲慢さとペンの暴力 | ||
穴水町役場や合併協議会へ、私以外からも何通か苦情の電話があったことを知った。怒りを感じたのは私一人ではなかったのだ。友人からも電話があって、「北國新聞は紛糾を煽る記事を書いている。傲慢でペンで暴力を振るっているんだ」と。 本来、穴水町は、というか田舎は、こうしたことに反応することが少ない。殆ど黙って過ごしてしまう。私にしても、これまでに「抗議」などというものをしたことが無い。勿論その方法も知らない。どうしたら良いのか? 北國新聞社からは、正式な返事はもとより全く反応は無い。たぶん、私のような1個人の抗議など無視されているんだろうと思う。友人の言う北國新聞社の傲慢さとは、このことそのまま証明されるような気がする。 合併協議会で、門前町議員は協議会を紛糾させながら、言葉では「私は合併に反対しているんではないのです。むしろ良いものにしたいんです。大変な問題を抱えているんですから簡単に町の名称を決めてはいけないから、考える時間が欲しいのです」という内容を3人とも言っていた。流会にさせた時の意見だが、明らかに合併に反対しているのが分かっていながら、言葉では繕うことができた。 北國新聞に書かれたこれからが大変だという記事も、深刻さを煽って全く同じだ。彼ら文章のプロは表現が巧みだから、思っていなくても記事を合併推進の内容に整えることも簡単なのだろうと思う。 彼らは合併を紛糾させ壊す事によって、私には分からないメリットを得ることができるのかもしれない。・・・知るよしも無いが。 振り上げた握りこぶしを、下ろすことも上げ続けることもできない感じ・・・かもしれない。怒りと悔しさだけは心の中で溢れるほど大きい。それに比べて私の握りこぶしの小さいことだ。 (北國新聞の記事とそれに対する私の感想・顛末は、下↓の4月15日の日記をご覧になってください。) |
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風の強い畑で、野菜棚を作る母親を手伝いながら、漠然と考えていた。
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●4月15日(木) 市町村合併を紛糾させる北國新聞の記事 その1 | ||
北國新聞4月13日朝刊の記事 さて、石川県の新聞で北國新聞というのがある。県内販売部数7〜8割を誇る新聞だ。新しい町の名称が決まった翌朝のこと。4月13日朝刊、その合併協議会記事の劣悪さに対して、激しい怒りを感じ、こうしてサイトの日記に書こうと決断した。(これまで、協議会についての内容は委員という立場なので意識的に書かないで居た)北國新聞社に対して記事の全文の掲載を求めているが、残念なことに、その許可が未だ下りていないので、この場では内容を要約して記述。4月13日の北國新聞朝刊をお持ちの方は、ぜひ36面・左上の記事本文を読んでいただきたい。 ●その記事の見出し ●リード部分には (私の感想) |
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●4月15日(木) 市町村合併を紛糾させる北國新聞の記事 その2 | |||
夕方、記者に電話で「正確な文章を書きたいので、メールでコメントを下さい。」と重ねて言った。彼は「あんた、それ、どうするつもりだ?」と聞いてきた。この段階で、何に使うか私は決めていなかった。彼は記事を書くのに1分1秒を競っているところだと言った。後ほどの連絡を待った。8時・・・9時・・・10時・・・メールで貰えるとコピーペーストで正確な記述ができる。そんな甘い話しは有り得ないかなと思いながら連絡を待っていた。
えぃつ!と送信ボタンを押した・・・。返事が来そうな感じも無いのに何をやってんだろ俺?と思い、苦笑するしかなった。
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続きは、その3へ↓ |
●4月15日(木) 市町村合併を紛糾させる北國新聞の記事 その3 | ||
新しい町の特徴は何だ?町づくりって何だ?文化って何だ?コンサルタント会社がありきたりのイメージを提案してきた。バカ野郎だと思った。もっと意味のあるものを、とその案をひっくり返した。もちろん、自分で学んだことのイメージを描いてだ。何枚となく無駄なイメージを描いた。採用されたのは、ホンの一部だった。それでも良かった。「実現しなくても、新しい夢が見れる町が良い」と誰かが言った。「合併の時しかできないことがある」と他の委員も言った・・・それしかないと思った。絵に描いた餅と知っていても、子供達にも話すことができると思った。 この両町の合併は、決してベストの組み合わせではない。だけど町議会が合併すると決めたら、相手の町のことを知ろうとした。イベントにも出かけた。人の話しも聞いた。能登の歴史も紐解いた。内海と外海・・・違いすぎる。でも、能登でその両方あるのはこの町しかない!!!それは、大きな魅力だといえる。それで良い。もともと、文化は風土に根付いたもの。人が居るから文化がある。人が居なくなったら文化も滅びるんだ。人を育てて欲しい。ものを作って欲しい。合併協議会・新町の将来構想でそう言った。
ガキのケンカ?
協議会上、質問をすると何かの勲章を貰った偉い議員から「キサマ、何の気になっとる!ケンカ売っとるのか!」(会議録では:一人一人いい気にいなって、何の気になっているんだ。何を考えているんだ。けんかするのなら構わないぞ)と罵声を浴びせられた。それでも普通の言葉で意見を述べた。穴水の若手委員はそうしてきた。逐一聞いて確認などしていないけど、私には、そう見えた。敢えて、私もそうしてきていた。勿論これからもそうしていく。新しい町が出きるまで。いや、出きてからもだ。 穴水町委員の気持ちの中に、 対立の構図を作り、会話を成立させなくし、深刻な問題を生み出した張本人のコメントだけを載せた今回の北國新聞の記事によって、合併への嫌気部分が更に大きく育ってきた。この記事は、合併を紛糾させた強引な加害者を被害者に仕立てているのだ。 その張本人の欠席した会議では、他の門前町委員が積極的に発言をしていた!事務局が家に来た時に言った。「あの人たちは、穴水の人に悪かったと思ってるみたいですよ」 門前町議員によって失われた信頼を、議員以外の委員達が取り戻そうとしている姿があった。 門前町にとって、この合併が不利な状況になっているとしたら、その原因は、三人の門前町議員の言動にある。 信憑性と信頼度
改めて言う。
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●4月13日(火) 止まった時間 | ||
桜の花も散り始めてきた。 慌しい毎日、車の中から目にとまったスナップ。
川面に『いさざとり』の人影。 夫婦だろうか。 ずっと座っているシルエットは まるで、時間が止まっているようだ。 一瞬、動き出す時、 足もとのテコを踏み網を上げ 柄杓で『いさざ』をすくう。 それを2、3度。 そして、また止まった空間に キラキラと光りが動いている。 能登の春のひと時。
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2004/04/13〜
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■情報誌「能登が好き」 ■能登の方言 ■掲示板 旅
■過去日記 ■能登草木の染め研究室 ■リンク
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