2004年

情報誌「能登が好きVol.1 Vol.2」編集部

能登の暮らしと文化を見つめる 2004

 

 

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能登草木の染め研究室 ご意見

4月「市町村合併・特集日記」 ★「北國新聞への抗議」

 ●5月12日(水) セレモニーが中止になって。
 


門前町議会が10日に「穴水町・門前町合併協議会の凍結議案」を十日の臨時議会に提出し、10対3で可決(議長を除く)。合併協議会における全ての審議の凍結を議会で決めました。穴水町主導の協議に不満で「門前町に利益が無い」という理由。遂に不満の握り拳を振り上げた訳です。

新町の名称を4月に「鳳町(おおとりまち)」に決定し、今日はその「名付け親賞」授与式という、本来ならば晴れやかなセレモニーも予定されていたのですが、それも中止になりました。

名付け親は、一般公募した「鳳」を書いた23名(穴水町12名、門前町9名、町外2名)そのうち17名が出席を表明しており、協議会会長から一人一人手渡されるはずでした。平日の午後2時からという時間なのに17人出席は多く、みんな楽しみにしていたんだろうなと思います。凍結が10日、式の中止が決まったのが11日。出席の人の中には美容院へ行った人や服を新調した人もいたようで、私もカッターシャツを新品にしました・・・???・・・実は偶然にも、息子が名付け親賞の一人だったのです(^^

息子が「鳳」と書いたのを知っていた私は、名称を決める会議で何が良いかという発言を一切しませんでした・・・本当は絶対に鳳だ!と思っていたんですけど・・・(^^;)町を「まち」「ちょう」のどちらに呼ぶのかという質問はしましたが。

授与式の中止が決まった昨日、息子は「本当に貰えるの?」と心配顔。息子は楽しみにしていたのです。今日、私が町役場で「熨斗袋」に入った賞金を貰ってきて、夕方帰宅した息子に渡すと嬉しそうにして、バスケットシューズを買うんだと言いました。 そして残った分のお金を「はい、おばあちゃん」「はい、お母さん」「はい、お姉ちゃん」と皆に分けてプレゼントしたのです。 

 

 

わが息子ながら何と感心なのでしょう!!!

ネタのような話ですが実話です(^^

合併凍結は、一般住民のささやかな楽しみさえも奪ったんですよ。


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 ●5月8日(土) ここは多次元空間?
 


「道の駅」能登空港・・・空港で道の駅というのも不思議な話ですが・・・。

道の駅」は、国土交通省の許認可制。採択されるには次のような条件が必要です。
◎ 主要な幹線道路に接していること
◎ 駐車場20台以上・便器10器以上・公衆電話の設置・これらが終日利用できること
◎ 女性、年少者、高齢者、身障者などへの配慮があること
◎ 案内所で多様な情報提供を受けられることなど

空港を日記に取り上げるのは、初めて。何度か行っているけれどその度に用事が違う・・・ここは能登の多次元空間かも知れない(^^)・・・が、残念ながら東京へ行く為に飛行機に乗ったことは無い。

  

平日でも空港の見学者は多い。写真左上が総合庁舎化しているターミナルビル。このビルは石川県庁の能登分室の性格を持っているが、私の目的は、ここの4階で行なわれる県民大学の草木染め教室。

石川県立生涯学習センター能登分室・染色教室


▲やけどや火災への対策は電磁調理器で  ▲受講生の皆さんと基礎1回目の草木染め

今日は、4回教室のうちの1回目。5月15日と22日はローケツ染め、29日は絹のストール染め。午後1時半から4時半迄。あと3回ありますので、参加希望の方はご自由にどうぞ・・・お問い合わせは県民大学事務局まで (0768) 26-2360

 

 

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 ●5月7日(金) 町を作るのは、誰?
 


4月の日記は、我が町の合併問題について特集のような形になりました。そして、また、新たな動きが出てきたのですが、それは後日書くことにして、今夜は、この合併協議会に参加してきた一年間で学んだこと、感じたことを書いておきます。

「町をつくるのは、誰?」

合併協議会、新町の将来構想策定委員会、そして他の委員の方との話の中で考え続けてきた事が「町をつくるのは、誰?」という事です。

私自身、政治に関わるより文化に関わる事の方が好きで、これまで公民館活動や自主的な地域活動(「おばあちゃんの草木染め」や「能登が好き」の発行)をしてきました。それは「暮らしている人が、やりたいから行なう」という出発点があったからです。地域に埋もれている魅力や能力を形にする。それが地域の文化になり新たな魅力になると信じていたからです。もちろん今もです。

ところが、こうして合併協議会という中に入ると(私の暮らす町の)政治というものが、住民の意識や考え方とは別の生き物だという事を再認識させられました。(一般論として)為政者側の勢力争い、利権、主導権、プライド、人間関係、個人的都合等で左右される要素が大きいと誰しもが想像するでしょう。

そして、「町が良くないのは首長や政治家が良くないからだ」と思っている人が、私を含めて多いのではないか、と。

しかし、突き詰めると、そうしたのは(良くない町にしたのは)、私たち住民なのだと言えます。主首も政治家も、選んだのは私たちです。確かに、その人たちの力次第で町は変わりますが、町を変えるのはそれだけではない筈です。例えば悪徳市長を住民がリコールする場合や選挙で落とす事もあります。住民の要求によって町の条例が作られる事もあります。オンブズマン制度も都市部では採用されています。(・・・実は合併を機会にオンブズマン制度の導入を言いましたが、反応はありませんでした)

毎日の生活に追われる私にとって、「町のことは政治家に任せる」という意識だけが強くあったと思います。しかし、それをチェックしたり、町全体の動きに関心を持ち不満や差別や不公平な事を、はっきり言わない私たち住民にも責任があるはずです。

今回の合併は「地方分権」「自治」という事が強く言われています。それは言葉を変えると「自分たちの町は自分たちでやれ!」と国が突き放している事です。(国にお金が無いから面倒みれない。だから町の数を減らす)

つまり、その「町に暮らしている政治家、役所職員、住民の皆で、良い事も悪い事も責任を持ってやらなければならない」というのが、合併のキャッチフレーズ「自治」「住民参加のまちづくり」という内容(考え方)だと思います。

合併協議会の中で、新町の将来構想の重点プロジェクトに「まちづくり委員会」という項目を入れる事が出来ました。項目を入れましたが、「自治」「自分たちの町は自分たちでつくる」という気持ちが住民に無ければ、これも単に形だけで終わってしまうものです。

北海道に、ニセコという総人口4,570人、面積197.13(Ku)の町があります。「自治」の実現を目指していて、
ニセコ町の「まちづくり基本条例」を制定・・・平成13年4月よりまちづくり基本条例を施行。
http://www.town.niseko.hokkaido.jp/torikumi/kihon/kihon.htm
その考え方は全国に広まっていて、石川県では羽咋市が作っています。
http://www.city.hakui.ishikawa.jp/topjp/gakusyu/kaigi/jyourei_index.htm

暮らしている「私たちのまち」は、どうなのでしょう?

条例を作る事が大切というより、その考え方を住民が持ち

「自治」の実現を目指さない限り、

町を愛する事も、誇りに思う事も出来ないのだと思います。


どの町と、どんな合併するかとか、

 

 

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 ●5月2日(日) また一つ、宝物を失ってしまった・・・。
 



それでも塀から出るような花が沢山あります


私の好きな能登の景色の一つに能都町波並地区があります。

写真は漁港と集落。ちょうどレールの真中あたりにポツンと一両の列車が走っています。来年の3月には、この鉄道も廃止になってしまいます。

それはそれで、とても残念な事なのですが、今日は、私にとって、とても大切に思っていた話です。

列車の写っている場所のもう少し向こうにあるガードをくぐり抜けると、波並地区の集落に入ります。旧街道に沿って高い石垣が組まれ、南向きの海に向って家々が軒を並べています。

この家並みも残して欲しいものの一つですが、ここに、私は別の宝物を見ていました。

京都で染色を学んでいた20歳くらいの頃、休日は毎日のように花のスケッチをしていました。ちょうど今の季節は恒例の行事のようにして長岡京市の乙訓寺(おとくにでら)や奈良の長谷寺へ出かけていたのものです。

今から10数年前、この地区に居る友人を尋ねた折、驚きました。この家々の石垣から、こぼれるほどの牡丹の花が咲いていたのです。家によっては、屋根まで届きそうな牡丹の花を沿え木(稲ハザ木)に組んで棚を作り、手入れをして楽しんでいるのが窺えました。

この集落一帯が、牡丹で溢れていたのです。

幼い子供を抱えた妻を牡丹の木の前で立たせて写真を撮った記憶があります。2階の屋根まで届いていた白い牡丹の花、あの木は3mもあったかと。

・・・それが今、無いのです。買い物の帰り、久しぶりに立ち寄ったところ、当時の面影が全く無いのです。

車を降りて探しました。集落の中央を流れる細い川。その路地を何度も往復しましたが。更に奥まった細い小路も覗いて見ました。

空き家、玄関の改修・・・そして木の寿命でしょうか・・・。

当時の面影を残す庭にもぐりこみ写真を撮りました。塀のある縦写真の白牡丹(花木の高さ、1.8m〜2m)。今日見た花の中で最も太い幹です。左の写真の赤い線、比較の為に置いたタバコの箱は、幅5.5cm。根本の2つに別れた左側は直径8cmほど。右の主幹は直径10cmを越えています。地面から20cmほど上がった幹は箱2個分で11cm以上あります。

私は花を描くのが専門で、植物の生態等に詳しいわけではありません。この木の太さが、どれほどの意味を持つのか?判断できません。

しかし、京都や奈良の牡丹の名所でも、こんなに太い幹や3m丈の花木は、それほど無かったように思います。我が家の牡丹は30年程で、幹がようやく2〜3cm程です。この10cmを越える幹になるには何10年・・・いえ・・・100年、200年?どれほどの歳月が必要だったのでしょうか?

そして、牡丹の樹齢以上の歳月が、この集落の歴史に刻まれていたはずです。庭に牡丹を植えて楽しむことができる人々がいて、その暮らしがあったはずです。

 


この地区は私の住む町の隣町です。・・・こんなことなら、あの時、もっと写真を撮って、もっと強く言うんだった。10年ほども前でしょうか、この牡丹の集落が「すごい!」と隣町の役場職員に言ったことがあります。町会議員にも、観光業者にも言ったことが。もっと大切にして!と。「美しい石垣と古牡丹の集落」は観光資源にも出来るはずだと・・・しかし、隣町の私は言葉だけで、それ以上のことは出来ませんでした。・・・今更思っても取りかえしのつかない話ですが。

海岸線の細い旧道、石垣を組んで得る事が出来た大切な土地、川沿いの細い路地の庭、その貴重なスペースが見事な牡丹で埋め尽くされていた映像。今も、しっかりと私の記憶に残っています。

牡丹のあった庭は、藤棚やツツジ、園芸植物や家庭菜園などになっていました。友人の話では、ここ数年で一挙に減ったようです。理由は分かりませんが、せめて、今残っている牡丹は大切にして欲しいもの。私の中で宝物のように思っていた「美しい石垣と古牡丹の集落」は、もう夢でも実現不可能なものになってしまいましたが・・・。百年以上もの牡丹の木は、すぐには増やせませんから。

路地裏の空き家と思える庭に、皮肉にも山地に生える「ホウチャクソウ(宝鐸草)」が、ひっそりと咲いてた午後でした。


最近、こうした悔しい思いをする事が多くなっています。若い頃には、あまり感じなかった事だから、歳をとってきた証拠かもしれません・・・(−−;)
でも、本当に大切だと思っている事ならば、もっと沢山の人や行政等に伝わるようにするべきでした。 

 

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追記)3mを越す牡丹の花は、養分が行き届かない為か白い花も大きくなく、どちらかと言えば質素な感じでした。園芸の品種改良で色も豊富になり豪華さは年々増してきているので、古い花には今ほどの華やかさは少ないという話も聞いたことがあります。が、不明です。牡丹の花について詳しい方、是非ご教授をお願いします。m(__)m こちらまで

 

2004/05

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